あかぎれが痛い

お腹が痛い人のブログです。Techネタや旅行ネタ中心に書いてます。

死のデザイン

このネットニュースを見て、「死」をデザインすることについて、感じたことを取り留めなく出力する。

www.itmedia.co.jp

人間における死について

2023年現在では、命あるものは必ずいつかは死を迎える。それは人間であっても例外ではない。 自分は36歳だが、日本の男性平均寿命86歳なので、この時点で人生の41.8%を消化したことになる(健康体ではないので86歳まで生きれるとは到底思えないが…)。

人間における死は基本的に多種多様だ。

例えば、本人にとっての幸せな死に方は人それぞれだが、ステレオタイプな幸せな死に方は、ピンピンコロリだろうか?

だが、自分の子供や孫にとっての幸せな親の死に方は、どうだろうか?ある程度「あぁ、もう長くないんだな」と意識して、別れまでの短い時間をどう過ごすかを決められるほうが、幸せかもしれない。

事故や自殺で、家を「行ってきます」と出て行ったのが最後の言葉だった、なんてこともある。

認知症で、残された人はどんどん記憶から消えていき、自分の愛した人とは思えない状態になっていくのを目の当たりにしながら看取るということもある。

繰り返しになるが、人間における死は一様ではないし、残された人もそれをどう捉えるかも一様ではない。

ペットの死について

ペットも、生命体なので、いつかは死ぬ。だが、ペットと人間の違いは、飼い主の考え方次第では、遺伝的には、死なない選択肢を取れるようになってきた。ペットクローンだ。

www.nikkei.com

個人的には、ペットクローンについては賛成も反対もできない。ペットというものが、かわいいもの・好きなものを身近に置いておきたいという飼い主のエゴによる制度だから、飼い主が好きにしたらいいと思っている。 が、その選択肢が取れるのはあくまで高所得者なので、基本的には人間における死と同じと考えればいいと思う。

無機物の死について

たとえば、車やバイク、お気に入りの文房具、服、腕時計、家といったものにも、死はある。 基本的には修理できるものではあるが、車やバイクといった乗り物は部品が10年もすると生産終了になるケースが多く、修理できなくなったら、ある意味でそこで、死になる(ワンオフでパーツ製作してくれるショップも数多くあるので、そういう意味では10年経過後の故障=死ではないが、維持費は嵩んでくる)。

無機物については、工業製品であることが多いので、言ってしまえばデザインできる。

上記の例であれば、意図的に部品の生産を打ち切っていくことで、徐々に「そろそろ車の乗り換えも考えるか…」というような、お別れ期間を作ることができる。そのタイミングで万が一事故を起こして車が全損になったとしても、諦めがつくかもしれない。 逆に、パーツの生産をやめないとどうなるだろう?車自体の生産が終わっていたとして、お気に入りの車が全損になったとしたら、かなり悔やんでいる気がする。自分が大切に乗ってあげればいつまでも乗れたのに、と思う気がする。

ただ、工業製品である以上、利益を産まなければならない。なので、生産者の立場からしたら、段階的な死をデザインする必要があるんだろう。

ペットロボットの死について

冒頭で見た、AIBOの例であれば、いつまで彼らを「生かす」べきか。

ペットロボットは、ペットの側面と無機物の性質のどちらも持っているので悩ましい。

IT mediaの記事では、「ペットなんだから商売成り立たなくならなくなったからサポート終了しますではダメだろう」という論調になっている。

この考え方には、一理ある。

ハードウェアとしての体は無機物(まぁソフトウェアや記憶も無機物に記録されているのだが)で、消えることはない。だが、人間やペットであっても、火葬・埋葬・腐敗しないかぎりは、体は自然に消えてなくなったりはしないので、その点は実は同じだったりする(自然環境であれば腐敗しないなんてこともないので、結果的には消えてなくなるのだが)。

ただ、ハードウェアがあるのだからサポートし続けるべきというのは理想としてはそうだが、これはペットのクローン再生と同じ考えだと思っていて、命を飼い主の都合で無限に引き延ばしてほしいというエゴが強すぎると感じるので、正直、若干不気味さを感じる。

商売としても、ペットとしても納得感のある死を迎える方法として考えられるのは、たまごっち方式が一番良いのではないかと思っている。

つまり、ペットロボットにも、意図的に最長の寿命を設定しておき、それまでの接し方によって、最長寿命までアクティブかどうかを判断して、意図的に死を迎えるようにするのだ。再起動や初期化はできるが、これまでの個体とは全く異なる動きをするように「意図的に」そうする。

そして、ソフトウェアで定義された寿命を迎えた個体については、リセットできないようにする。つまり、設計された死だ。販売元は、筐体を回収し、どのように愛玩されていたのかを解析し、それに見合ったお悔やみや、思い出の写真やどう接してもらったのかを文章化し、ペットロボットからの感謝文を飼い主に送る。その時に、新しいペットロボットのクーポンをつけてもいいかもしれない。そういうほうが人間の精神にはいいような気がする。

ルンバみたいな、実利があるロボットであれば、純粋に壊れる(修理不能になる)まで有償サポート、で良いと思う。

あくまで、愛玩ロボットというジャンルについては、死を設計しないといけないのではないか、と思った。